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2014年11月11日

夢だったロングトレイル・5(最終回)

6日目 白鳥小屋~ 9月21日

いよいよ栂海新道最終日。はたして海までたどりつけるのか…



白鳥小屋前にあるステンレス道標に「海まで4時間」とあったので最終日はゆっくり出発することにした。

夢だったロングトレイル・5(最終回)





前日、貸切かと思われた山荘にはもう一人宿泊者があった。朝日小屋のテント場で声をかけてくれた単独行の方だった。自分の話を聞いていけるまで行こうと思ったという…

同じ目的で来た単独者同士、山の話~仕事の話~これからの話等々、酒も飲まずに盛り上がり、夜は更けて、ちょっと寝不足気味な朝を迎えた。だが小屋で眠れたので疲れは取れ体調は万全だった。

夢だったロングトレイル・5(最終回)




白鳥小屋はこじんまりした2階建て。屋根の上には展望台が備えられ、景色が一望できる。建物一階にはテーブルにゴザ、二階には毛布など寝具が置いてある。その一階には「さわがに山岳会」が栂海新道を開拓した歴史を記載したポスターサイズの年表があった。

自分が生まれる少し前から開拓が始まって10年の歳月をかけて登山道が開通している。

北アルプスの名だたる山の登山道からすると歴史は浅い。確かに歩いていて「若い」感じがする。だが情熱で切り開いた苦労の片鱗は歩いていて感じる道だ。

あのウォルターウェストンが北アルプスの一番北の名峰「白馬岳」はどこから繋がっているか?ということで確認する旅にでた。今から120年前の話なので今からすると相当困難な旅だったようだ。
行き着いたのは親不知。そしてウェストンは「親不知は白馬にいたる出発点」と語ったという。

そんな逸話が開発のきっかけになったか、どうかはわからないが、0m~3000mなんて本当に夢のある登山道だ。自分は今、そこにいる…

山荘で一夜を過ごした続きをあれこれ話しながら下る。

一人も良いが二人も楽しい。ましてや自分と違う価値観や経験を持った人と話すのは刺激的だし勉強になる。

どんどん下り、シキ割を抜け坂田峠へ。
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アスファルトの坂田峠の道は、久しぶりに文化に触れたようで新鮮ではあったが違和感もあった。自分が歩くのはこの道では無く、隔てた向こうの登山道だ。
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既に3,000mでは無く低山の道となった登山道をひたすら歩く。アップダウンを繰り返しながら尻高山到着。
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さらに下ると長い鉄階段が現れ、またもアスファルト道を横断する。
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(この後、開通予定のアスファルト林道を横断)送電線鉄塔下をくぐり下る。

この辺りから国道8号線を走る車の音が近くに聞こえ始める。
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国道が見え隠れするところまで降りて最後はフェンス越しに歩く。
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ようやく栂海新道基点に到着。
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目の前には親不知観光ホテル。
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外来の風呂と親不知駅まで送迎してくれると情報は得ていた。でもここがゴールではない。

交通量の多い国道8号線を渡り、ホテル前の公共駐車場の端から海まで降りることができる階段状の道がある。ザックが重く、置いて行きたかったがこれを背負って行かなければ旅は完結しないように思えた。
夢だったロングトレイル・5(最終回)




登山道と違い人工の階段は歩きづらく、おまけにかなりの高低差がある。

途中、北陸本線旧線のトンネルがあった。旧親不知トンネル、1912年に竣工されたレンガ作り…後世に伝える土木遺産だ。国道もバイパスができると、衰退することが多い。このトンネルも一部のマニアにしか、もう注目されることがない存在なのかも知れない。いろんな道があるものだと、思う。

最後の階段。
夢だったロングトレイル・5(最終回)



自然と笑みもこぼれてくるが、複雑な気持ち。

長かったこの旅も終わるという安堵感と、もう終わってしまうという残念な気持ちが綯交ぜとなっていた。

日本海、12時40分到着。
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飛び込んでやろうと考えていたが思いのほか波が荒く、舐めるだけでやめておく。親不知の水は、やっぱり塩辛かった。

ゴールの感動を散々味わったあと、ホテルにて風呂をいただくことにする。しかし海からの登りがきつかった。やり遂げたあとは気力も萎えるから、そんなものかも知れない。
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やっとのことでホテルに到着。

年季が入り建物、風呂も古い。だが、5日ぶりの風呂は本当にありがたかった。日本海に面しているので展望も良く開放感がある。体の隅々まで洗い、体を解しリラックス。

脱衣場を出て目の前にある自販機でビールを購入し一気に飲み干した。シュワシュワっと炭酸が弾け、喉を潤しながら食堂を通り胃の中に入っていく。胃がキュッと縮むような感じと火照った体が冷えていくのを感じる。気持ち良い虚脱感…山行中、酒絶ちして良かったと思った瞬間だった。

風呂をお願いしたとき、ドライバーさんがいないということで送迎を断られてしまっていた。国道8号線に歩道は無く、駅まで歩くことはトラックの往来が激しい場所で非常に危険だった。

フロントに下りてタクシーの算段をしていると、ドライバーさんが帰ってきたので送迎してくれるという。

事前に電話で確認すればこんなことは無かったのかも知れない。今後の参考にしよう。

道の駅まで送ってもらい、遅い昼食を食べ駅まで歩く。

親不知は無人駅でホームが狭い。電車を待つ間に「特急はくたか」が通り過ぎて行くが、近すぎて身の危険を感じた。

親不知から糸魚川へ移動し乗り換えて大糸線で信濃大町まで、約2時間半の電車旅行。

比較的空いていたのでシートにすわり車窓から移り行く景色を眺めていた。

糸魚川近辺は車で何度か訪れているのだが電車から見る景色はまた新鮮であった。
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そんなことをしているうちに大町到着。車をピックアップして自宅へ帰った。





今回のテーマは、親不知まで歩くことだったが、まずは達成できたことはうれしかった。そして3000m~0mまでの景色の移り変わりは道中飽きること無く楽しむことができた。今後も多くの登山者が憧れ、そして訪れる場所であるだろう。

何にもましてこれら登山道を切り開いてくれた先駆者たちに感謝せずにはいられない。

旅からすでに1ヶ月以上経った。

今、文章を書きながらあのときの状況、思いが沸々と心の底からわきあがってくる。

歩いたものにしかわからない感動がここにはある。

今後もいろんな人に訪れてもらいたい、そして今後も何十年、何百年と愛される登山道であって欲しいと心から思う。

ロングトレイルコースは高山、低山問わず全国にある。今度は何処を歩こうかと、思い巡らしながら日常を過ごしていこうか。(おわり)




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